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発言:0853
(COA01802/永野 美恵子 /Mie )  2018/01/25 21:11 280回 
タイトル:2018年1月14日:宗麟大橋の渡り初め
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会員として
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2018年1月14日:宗麟大橋の渡り初め
2008年度から始まった大橋の工事が完成、今日は開通式&渡り初めです。

由布岳が真っ白に雪化粧、とても寒い朝になっていますが、渡り初めに出席しようと、出かけてきました。 
大橋は公募で「宗麟大橋」と決まりました。橋の袂には、大友氏ゆかりの遺跡が広がっています。出土品などを展示している大友氏体験遺跡体験学習館が造られて今うs。 
 
 大友宗麟と関係のあった、ザビエルやアルメイダなどの功績がイラストで大きく張り出されています。
 橋のたもとに受付が出来ていました。「庄の原佐野線開通渡り初め会場」です。受付で資料を受け取り橋に上がりました。
大きな横断幕、そして、開通式テープカットの準備など、県や市の係員、多くの取材陣が集まっています。

橋は三つから構成されています。国道10号線を横断する「万寿(まんじゅ)橋」。
、国指定史跡「大友氏遺跡」にある重要な文化財「旧万寿寺跡」の上空にかかる「観音殿(かんのんでん)陸橋」。そして「宗麟大橋」に続きます。そこで宗麟大橋という名前はとても適切と思いました。大分川の河口部から約3600mに位置し、河口からは弁天大橋、舞鶴橋、滝尾橋、そして、宗麟大橋となります。全長349.9m、四橋の中で最長です。今日はこの3つの橋の開通式と言わなくてはいけません。
 まだ開通式の開始まで時間があり、寒くもなってきたので、動くことにしました。宗麟大橋以外は時間前ですが歩いても良いとのことで少し歩いてみました。
時間を気にしながら、また開通式の場所へ戻って来ましたら、大勢の人たちが集まっていました。人ごみの中で私が写せた写真はカメラを持った手を上へあげて写した写真のみ、緑の幟の上部が写っていました。↑

後を振り向くと、観音殿陸橋の上にびっしりと人の波、物凄い人、人、人でした。後の報道で4800人程の人がが渡り初めを体験したと書いてありました。 
 広瀬大分県知事のご挨拶はしっかり聞くことが出来ました。大分県にとって半世紀振りの大橋建設とのこと。多くの人が利用する便利な橋になることでしょう。それには、橋の両側の接続道路網の整備も大事だなと思いました。

セレモニーの中でドン ドンと音がしていたのは、この青い大きな旗を持った大友宗麟鉄砲隊の皆さんたちが、橋の交通安全を祈って打たれた鉄砲の音でした。陣羽織に刀、兜をかぶり、凛々しい武者振りです。
 
寒い橋の上で演奏をしてくれているのは、宗麟大橋の地元にある、上野中学の吹奏楽部の生徒さんたちです。本当にありがとう♪ ? 
テープカットの後、最初の人は、車で渡り初めの方々でした。先導は女性の白バイ隊、とってもカッコ良いです。 
先頭者は、広瀬大分県知事でした。橋を渡り終えて、Uターンして戻って来られています。手を振り、頭を下げて、丁寧に挨拶をして下さっている知事さんです。 
二番手は、佐藤大分市長です。身を乗り出すようにして手を振って下さっています。満面の笑顔でした。次々と、7〜8台が走り抜けました。 
空からも音がします。動力付きのパラグライダーから手を振っている方がいます。寒いでしょうが気持ち良いでしょうね。ドローンが飛んでいたり、空中からの撮影写真もきっと素敵な映像が見られると思います。 
反対車線では、仮装行列の人たちがたくさんたくさん歩いて来られます。

大友宗麟の時代に来日した南蛮人のスタイルの仮装の人たち。
  この旗を持った方は、16世紀の大分へやってきて西洋医学で治療をしたと言われているアルメイダさんです。 
こちらは1551年に豊後府内で大友宗麟と会ったという宣教師のザビエルさんです。

当時の豊後の国は、伊東マンショ達4人の少年を遣欧使節として送り出したり、港には南蛮船が入り、交易をしたり、先進県だったのですね。
 

左は当時、ヨーロッパで発行されたオリテリウスの地図帳「世界の舞台」に初めて掲載された日本地図の九州を大きくしたものです。九州の真ん中に大きな字でBVNGOブンゴと書いてあるなど、本当に大分は有名だったのですね。 (この地図はポルトガルの宣教師・ティセラの描いた世界最初といわれている日本地図です。)

橋の欄干にこの地図は置かれています。

 

宗麟大橋の主要部分を渡り終えた所です。橋の名前が「そうりんおおはし」と彫り込んであります。完全防備の姿で記念写真です。橋の欄干には大友宗麟像が貼られています。
橋は歩いていると、その橋の姿がよくわかりません。ちょっと、歩道から大分川の土手に出て、写してみました。夫も寒くて、大きなスカーフをかけています。
  
平成29年3月にコンクリート床板をキャンパスに見立てて、県民が桜色で手形を押し、桜の木を表しました。それを使って、ここには大友宗麟の時代からの年表を書いて欄干に貼り出してあります。川下には、日豊線の鉄橋を隔てて、大分臨海工業地帯が広がっています。夫の職場だった会社も見えています。


スタート地点へ戻ってきました。まだまだ皆さんも去り難く、記念撮影をしています。そして、まだまだ橋を歩きたい方々が来られています。
私たちは観音殿陸橋の横にある通路を通って、国道10号線沿いの空地に造られた駐車場へ戻りました。そこから、10号線へ出るのに、30分近くかかり大変でした。
今日の4時から、車が本格的に走り出します。大分市の交通緩和にも役立つ、来年のラグビー大会でも素アジア無へのアクセスが良くなると期待されている宗麟大橋です。貴重な体験の出来た一日でした。
橋はJR大分駅南側を東西に走る「庄の原佐野線」の延伸に伴い県が建設し、大分川河口部では約半世紀ぶりの新橋となる。建設事業は2008年度に始まり、事業費は約50億円。長さは同河口部では最長の約350メートル、幅は約31メートル。名称は公募の結果、大分ゆかりのキリシタン大名・大友宗麟にちなんで付けられた。  開通イベントでは、大友宗麟の足跡や魅力を発信しているNPO法人「大友氏顕彰会」など5団体の武者行列や、火縄銃による演武が披露された。一般車両の通行を前に市民向けの「渡り初め」があり、約4800人が橋を歩いて渡った。 (永野Mie)

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