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発言:0627
(COA00004/尾野 徹 tooru@fat.coara.or.jp/tooru )  2006/06/14 05:51 14037回 
タイトル:日銀の歴代大分支店長達が集まったんです、面白い!
1 2
このまま
会員として
会員として


日銀の歴代支店長達が集まったんです、5月13日ですが。
で、村上ファンドの5000億円なんて「小さい!」と言いたくなるようなこと聞いたり・・・

ずらりと並んだ歴代の日本銀行大分支店長の面々!壮観ですよ。
左から、日本銀行理事白川方明さん、北洋銀行副頭取横内龍三さん、北洋銀行頭取高向
巌さん
,元日本輸出入銀行副総裁南原晃さん、特殊法人年金資金運用基金理事長川瀬隆
弘さん
全国地方銀行協会常務理事井上健さん、(株)シー・アイ・シー取締役営業開発部
長米田実さん
日本銀行金融機構局参事役植村修一さん、
あれ、日本銀行政策委員会室長の中山泰男さんが写っていない?おかしいなぁ・・・
で、開会挨拶を臼杵市長の後藤國利さんが。。。
そうですねぇ、この会は、今から25年ほど前に始まった勉強会なんです、

名前は大きく日本経済勉強会。
発足は、1981年2月10日。
その経緯は、こちらをどうぞ
その中心人物、南原さん。
当時の後藤会長と私が訪問したことを含めて話された。
彼の「陸は福岡、空は東京、海は世界へ!」という大分への
応援メッセージとしてのキャッチフレーズはとても当時インパ
クトが強かった!大分人に勇気を与えてくれた!感謝!
ボクはその後、南原さんがニューヨーク支店長だった頃に
ニューヨークを訪れたことがあります。今はなくなった世界貿
易センタービルの中に支店があって、彼がホテルまで自ら車
を運転して迎えにきてくれて案内してくれたことを思い出しま
す。
また、全日本大学野球連盟副会長をしている関係で、数年前
にも大分に来られていた。


とにかく、この方の話題はことかかない。
高向さん、この方も個性があります!
フルブライトでアメリカに行かれてただけ
でなく中国にも滞在経験があって中国語
も話せるんです。(あ、南原さんもフルブ
ライトだ!)

南原さんと違うのは、大分でゴルフに手こ
ずっこと、、、かな?

 難しい銀行多難時代を乗り越えて北海
道で銀行頭取として大活躍中。商工会議
所会頭としても地域振興に取り組まれて
おり、より大きな視点で廻をみておられる
ような暖かさを感じます。
 高向さんは、コアラ発足に背中を押して
下さった
んです、、
歴代の支店長、それぞれに大分支店長以後、驚き出世や新し
い仕事に取り組まれているのですが、この川瀬さんもその一人。
 広島出身で、全日本サッカーの元ユース代表だった、と、お
聞きしていますが、それで今は日本サッカー協会?だったか
か?Jリーグの方だったかな?とにかく「顧問」になってて、今
頃ドイツにサッカー見に行っているはず!
(ボクと後藤誠さんも今日からクロアチア戦見行きます!、現
地で遭遇したりして)
で、その川瀬さん、大分時代はゴルフがうまく、、、で、囲碁に
親しんだりと余暇の過ごし方をいろいろと工夫されていた。今
は、なんと村上フンドなんて小さく感じてしまうような「今、運用
資金は150兆円。昨年の利益は10兆円!」なんて話を聞くと、
もう全然実感がわかない!
 東京での余暇の過ごし方としてグルメにも興味ありそうなお
話でしたが。。。
この方も面白い。横内さん。
世の中、一時、日銀タタキ?のような風潮時代に自らの役職上(退職者の面倒を見る?ような仕事にも
就かれていたはず)、職後にあちこちの企業に再就職するよりも弁護士になる!っとばかり、猛勉強さ
れ、ホントに司法試験に受かられて横浜で弁護士活動をされたんです。スゴイ。
 で、当然、経済弁護士のようなことをやられてたのが、高向先輩に先ずは弁護士として北海道に支援
に来るように言われ、、、そのまま?ずるりと高向頭取に取り込まれて北洋銀行の副頭取に。この6月の
総会で頭取になるんですって!いやー、面白い。
何しろ、この方は、日銀の計算部門の総責任者だったこともありますよ、ボクはその時代に日銀を見学
させていた
だいたこともある。
というようなことをお人お一人思い起こさせる皆さん
なんです。


ここまでの写真は携帯電話の写真。
だから、枚数少ないし画質悪いけど、、でもこれ
以降の写真は色の設定間違ったみたい。
で、後は懇親会!
花開きます。


以降の写真はクリックで拡大します。
右が井上さん、大分時代は大分経済同友
会で真剣に意見交換していっしょに提言な
どを左の小手川さん共々議論し続けたですね。
左はフンドーキン醤油の小手川社長さん、昨
今議論する相手が少なくなっていなくてサミ
シイ?なんてね
白川さんは、日銀きっての政策通、ということで
分に来られた折、その経緯を本にしたいなぁ、
とよく都町で話したりしたんだけど。
で、急遽ニューヨークに行ったりで、、、、
 現大分支店長の味岡さんも、これだけ先輩が
いると恐縮ではなく達観してる感じ。大分支店
長就任当日に南原さんが大分にちょうどやって
こられてて、右左わからぬまま?お相手したと
か、してもらったとか、、、

右は昨今都町でよく見かける?大分製紙の
田北さん!
左は営業の神様、小手川茂男さん。この勉強
会のウラの会長みたいなもんで、まぁ、この人
は本当にスゴイ。後藤市長とは違った凄さが
あって、もう尊敬の念のみ。
どのような場であってもいつの間にかこの方
が皆さんを接待している格好になるし、本気
になると仕事はスゴイし議論もできるし、もう
手が付けられん。裏(?)の仕事もできる方。
この小手川さんが居たからこの勉強会が継
続できた。

 右は植村さん。この3月までは東京でグロ
ーコム(国際大学)の研究会などでよくご一
緒しました。公文先生と南原さんが同期であ
るって知ってましたか?
中山さんもしっかり議論されていた印象が
強いなぁ。かつ、弁が立つ。。。。冒頭の挨拶も
持ち時間いっぱい使って皆を笑わせた。
ゴルフも大分で覚えたような、、、
米田さんは、つい昨年までは大分の豊和銀行
にもおられたし、しょっちゅう大分に来ている(帰
ってきている?)ような状態らしい。

うん、米田さんもよく議論した。
二人ともに弁が立つので・・・ 井上さんのお話面白い、 けっこう引き込まれて聞く横内さん。
二人ともにいい顔して話てます、大分時代から二人とも穏やかな表現が印象に残るし。
以降の写真は、都町の小坂です。
歴代支店長でここの常連だった方々多し!
(かくいうボクは、なんと学生時代からこの
店来てる。当時、大分でジャズのレコード置
いていた数少ない(確か2軒ぐらいしかなか
った)店だった。ママは当然その当時から
のママ!若いねぇ。。。)
          
で、横内さんが帰り間際に記念のツーショッ
ト希望。せっかくだから連続写真で提供。
一番最後のにこやかな笑顔を見よ
♪〜
この日はカメラ操作めちゃくちゃ。最初は携帯で。あーこれはもっと写そうと急ぎ家からカメラを届けてもらったが、前半は設
定を間違っているのも気がつかなかった。。。。そのくらいボクも楽しかったということ。
みなさん、また来てくださいね〜。

「電子の国コアラ」第一章 胎動 より抜粋
■当事者として大分をみる

 その動きを具体的に教えてくれたのは、のちにコアラの会長となる後藤国利さんだった。
 その当時はまだコアラは影も形もなかったが、歴史的に小藩分立政策に泣き、互いの藩をつぶし合うという、いわば他人の足を引っ張りあう風土を持っていた大分を、「いろいろあるだろうが、とにかく酸いも辛いもぐっと飲み込んで、一致団結して大分の未来を考え行動しようじゃないか」という平松知事のスタンスに、理論的にも実際面でも応援しようという後藤カイチョーの行動は、我々新参Uターン者にはとっても新鮮であった。

 臼杵市は大分県の中でも一風変った地域アイデンティティを主張するところで、老舗の醤油メーカーが競い合い、大分を代表する造船業がありと、小藩多い大分の中で唯一フローよりも大藩的ストックといえる力を感じる地域だ。その風土にふさわしい優秀な人材、逸材を中央の官界、財界、文学界に数多く輩出してきたところであって、後藤カイチョーも同地域を代表する経済人、政治家として広く県内で知られていた。

 その彼が話があるから私に出てこいという。一九八〇年の暮れだった。
 「平松知事がせっかく東京に対抗して頑張っているので、我々も何か考えねばならないが、まず勉強からだろうね。今、日本銀行の大分支店長は南原さんだが、南原さんのような中立の立場の人を中心にして、また、ほんの数年であっても東京から優秀な人達が大分に赴任している期間を、我々大分人は彼らから勉強させていただく機会と捉えたらどうだろうか」

 彼の話は「なるほど」と思わせるもので、東京から転勤してくる日本銀行の支店長のみならず、その他にも転勤で大分にくる日本の一流企業の若手トップ陣、自治省からの大分県庁出向者などとの交流は、いやがおうにも大分人の視野をグローバルに広げさせ、地縁やしがらみで固まってしまっている発想から目を開かせられる思いだし、かつ、外部からきた人々にできるだけ早く大分の事情を飲み込んでもらう、すなわち大分を勉強してもらい、大分を好きになってもらうよい機会にもなる。さらに東京へ帰ったあとも大分ファンであってくれたら、という狙いは互いに好都合である。
 後藤カイチョーが知事に相談したところ、「なかなかよい企画だ。ぜひともやってくれ、全面的に応援しよう。だから、その勉強会を大分県地域経済情報センターでやってくれ」とのことだった。

 社団法人で第三セクター方式の情報センターは、今でこそコアラの事務局が置かれてあったりして、コンピュターネットワークのセンター的イメージを持つけれど、その当時は情報センターの知名度も利用パターンもまだまだ確立されてはいなかった。それだけに知事は、勉強会を情報センターがシンクタンク機能を持つようになるよい材料だと考えたようだ。

 第一回会合は一九八一年二月一〇日。私の結婚式のわずか五日前。この時が情報センターとの係わり合いの最初だったようだ。
 メンバーは地元と県外で半数づつ、議論ができる二十名程度という少数構成であったが、会の名称は大きくて「日本経済勉強会」。
 名前負けしそうな気持ちになりそうなのだが、南原さんから"日本経済"の動きを教科書を使って本当に勉強させられてしまったのには驚いた。宿題もあって、理工系出身、かつローカルな私にはちょっと苦しい勉強会でもあった。

 講義のあとには、最近の大分のことをいろいろとフリーディスカッションするのだが、南原さんの前向き、かつ、ネアカ、かつ、人をよいほうに評価して自信を持たせる話しぶりは、地方コンプレックスになりがちな私達をおおいに勇気づけてくれたし、目の前で繰り広げられる南原さんと新日鉄大分の工程業務部長安藤義信さんとの白熱の会話は、互いに世界を知っているもの同士でとてもおもしろい。南原さんは海外経験が長いし、世界の経済の中での日本の経済を注視するのがお仕事。一方、安藤さんは世界を歩き回って鉄を売って回っているという実践家。理論対実践という構図のおもしろさだけでなく、それを大分に結びつけての議論は圧倒されるばかり。「大分を楽しくしよう」ということが理屈を超えてわかってくるような気がする。
 今にして思えば、地域のために行動することは楽しいこと、すばらしいことなんだと、その時にジワジワと洗脳(?)され、地域を楽しくするには自らも傍観者でなく当事者の一人であらねば楽しくない。そういったことをわからせてくれた始まりのように思う。

 与えられた場から逃げることなく、当事者という考え方で一つ一つに取り組んでみよう、と考え始めたその年の四月に、大分経済同友会で新設のテクノポリス研究委員会の副委員長に指名されてしまった。委員長は日本経済勉強会のメンバーである佐藤弘親さんで、最年少会員ではあるが、理科系出身のキミならテクノポリスの勉強をするだろうということが推薦の理由だったのだろう。
 右も左もわからないまま副委員長職を務めざるを得なかった私は、八一年十一月にアメリカのシリコンバレー等の調査でテクノポリス調査団の一員として参加した。スタンフォード大学やサンノゼのIBM、サンタテレサ研究所、ダラスのテキサス・インスツルメント本社などを見て回り、情報産業で活性化する地域にすばらしさを感じたのは確かだが、何となく日本とのギャップ、大分との落差も強く感じてしまったのも事実だ。
 大分はどうしたらこのように特定分野で先進地として認められ、私達のように見学者が訪れるほどの地域になるのだろうか? 見学者や視察者が多ければ多いほど、見学される側はステージに上がった格好になり、自分自身に誇りと自信を持つようになるのだろうなぁ…、という印象を強く持った。
 翌年の八二年三月には、大分経済同友会の「大分県のビジョンを求めて」と題されたシンポジウムが開催されてテクノポリス関連のパネラーに指名されたりと、大分という地域を自らも考えざるを得ない場を続けて与えらた。そして、地域おこしにニューメディアやハイテクがとても重要だ、という世の大勢に理科系出身者らしく強くうなずくようになってしまう。


■じゃぁ、やってみたら? と皆は簡単にいう

ただし、今のままで進んで行ったのではコロンブスの行く道はあぶない。絶対に新大陸には行き 着けそうもない。知事が進めていることがこけたりしないだろうか。心配だ。
 そういった気持ちを話すともなく、日本経済勉強会のメンバーに話してみる。すると「じゃぁ、 尾野君やってみたら?」と皆はいう。簡単にいってくれる。「君が情報化のことがわかっている、 と思うなら存分にやるべきだよ。それもネアカに、マエムキに」とのこと。当時の日銀大分支店の高向厳支店長までがそういう。
 これが東京だったら戦う相手が大きすぎて「そうだそうだ、だから○×△が悪い、政治が悪い! 日本が悪い、世界を変えねばイカン!」といいながら、自分達にはどうしようもないことだとあ きらめて、赤チョウチンで気勢を上げるぐらいが落ちだろう。
 しかし、大分は今やマエムキたろうとしているし、加えて東京ほど捉えどころがないというこ とはない。狭い地域だし、地域おこしは個人の知覚範囲で、誰でもやれる。いわばスポーツであ り、ゲームでもある、と考えるぐらいの度胸がいるようだ(ただし、勝たねばならないゲームの ようだが)。

 それに、本当にアメリカのようなパソコン通信ネットワーク網が大分にあったらどんなにすば らしいことか。広大な国アメリカだからこそ電子ネットワークが発達するのだろうし、アメリカ の地方人(アメリカの"地方"とはどこのことか? ワシントン以外のことか? ニューヨークも サンフランシスコもシカゴもボストンも地方なんだろうか? )には必要不可欠になっているので はないか?
 希望する人は誰でも利用できるような社会インフラ電子ネットワークを大分につくれたら、ど んなにすばらしいだろうか。多分、コロンブスネットワークはそういったポテンシャルを持って いるはずだ。そうだ、私設電子ネットワークではなく、社会インフラ電子ネットワーク、公共電 子ネットワークをつくることがとっても大事なことなんだろう。それが当初の目的であるはずだ。 つまりはコロンブスをそういった方向に導かねばならないということか。

(注:コロンブスとは大分県の企業情報データベースです。当時はインターネットはまだ登場してないし、今後広まるであろうパソコン通信型でもなかったんです)

 以上は、「電子の国コアラ」という本からなんですが、なかなか時間がとれず電子化できてない。
 近々、再挑戦しなくちゃ。(こちらに山崎佐和子さんが序章から第二章までを作ってくれているのがあります)


001 (COA00999/みずたに美保/demo) 2006/06/15 08:59 参照:13837回
タイトル: 思い起こされます・・・

大分にいた頃・・・COARA事務局と呼ばれていた頃のCOARAを思い出します。
尾野社長といると、とんでもない方がた(?)にお会いしてばかりだったのも思い起こされ・・・
私はとても刺激的でしたから、今も若いスタッフの方々が同じように目をキラキラさせていろんな経験されていることでしょう。

COARAの基本・・・基盤も思い直してしまいました。

オーストラリアにも、大分出身の立派な方々がいらしていて大分を大事に思ってくださってます。

離れてみて、大分がどんなに素晴らしい所か、素晴らしい人達を生み出してきたか、よくわかる今日この頃です。


002 (COA01802/永野 美恵子 /Mie ) 2006/06/15 10:04 参照:13861回
タイトル: 尾野さん、水谷さん、こんにちわ、

コアラです、っといいますと、そうなんですね、そうですか。と
納得してくださる方が結構いらっしゃってうれしくなります。

私は単にコアラの会員な訳ですが、それでも本当にいろいろと
刺激的な体験をしてこれて今があると思っています。

その裏づけがこういう勉強会もあるということなんですね。
本当に凄い人脈です。今も夕方テレビで現大分支店長の味岡さんが
話して下さる時間がありますね。

経済の動向は、世界の動きに連動していますから、とっても大事。
コアラヒストリーも懐かしく読みました。

で、尾野さん、今ドイツですか?びっくり。
私はサッカーのドイツは避けてしまいましたが、、、、

応援お願いします、そして勝って欲しいですね。
気をつけて応援してきてください。

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